No.96 ナナカマド(花楸樹・七竈)
(株) 宮城環境保全研究所  大柳雄彦

 立冬を過ぎるあたりから、気圧配置は西高東低の冬型となり、冷え込みは急に厳しくなった。11日には強い寒気が本州まで南下し、仙台でも初雪が観測された。平年より16日も早い冬将軍の到来ということで、近ごろの天気は全く気まぐれである。
 今年の立冬は11月7日であったが、いつも7日(なのか)と聞くと、ついナナカマドを連想してしまう。その経緯については、おいおい明らかにするとして、今回は、ようやく紅葉が見ごろになったナナカマドを取り上げてみた。

 ナナカマドは、材が燃えにくく、「かまど」に七回くべても燃え残ることからついた名といわれる。しかし、実際にこの木を燃やしてみると結構燃えるようで、名は体をあらわしていない。この誤った通説よりは、むしろ、この材を炭がまの中で、7日ほど燻さなければ良い炭にならないと解釈した方が理屈に合うようだ。つまり、昔言葉の「ななか(七日)」と、「かまど(炭がま)」の合成語とするのが理にかなうというわけである。現実にナナカマドの材で焼いた白炭は、火力が強く、火持ちも良いので、鰻の蒲焼きなどの特殊な用途に使われる。江戸時代の初期に著された木炭に関する古書には、「備長は木炭の上物なり、紫樹及び花楸樹は極上とす」とある。因に、備長はウバメガシ、紫樹はムラサキシキブ、花楸樹はナナカマドの材をいう。

園に植栽されているナナカマド
園に植栽されているナナカマド
青空に映えるナナカマド
青空に映えるナナカマド

 ナナカマド(Sorbus commixta)は、日本全国及び朝鮮半島の山地帯~亜高山帯に分布するバラ科の落葉高木。紅葉と赤熟する果実が美しく、北日本では街路樹や庭木として植栽される。七竈と書くのは当て字のようで、漢字では花楸樹を用いる。また属名のSorbusは、ヨーロッパに広く分布するオウシュウナナカマドのラテン語といわれ、現地ではこの木を墓地に植え、また十字架を作るなど、神聖なものとして信じていられている。
 ナナカマドの樹高はせいぜい10m前後で、あまり高くならない。樹皮は灰褐色を帯び、小枝はやや太く褐色で小さな皮目が目立つ。葉は奇数羽状複葉で小葉は4~8対。羽片は披針形から長楕円形で変異に富み、中央部付近のものが最も大きい。葉縁には鋭い鋸歯がある。
 花期は6~7月の梅雨期。径1cm弱の白色5花弁の両生花を枝先きに複散房状につける。花後は径8㎜ほどの球果となり、葉がまだ青い夏のころから熟し始め、落葉して雪が降ってもなお、枝に残る。この果実にはソルビトールという甘い成分を含み、健康増進用の果実酒を作る。
 余談になるが、雑木林でよく見かけるアズキナシやウラジロノキも従来はナナカマド属に含まれていた。ところがつい最近、これらは単葉であることや、花の形態が異質であることなどにより、ナナカマド属から外され、新たにアズキナシ属(Arai)として独立した。

 欧州のナナカマドは、身近な場所で見られるので、古くから民俗的な来歴は多い。しかし、わが国の場合は、人里離れた奥地にしか生えていないため、馴染みはなかったようで、古典や古歌には出ていない。ナナカマドの紅葉や紅熟した実が、和歌や俳句に登場するのは、奥山へのアクセスが容易になり、秋の山行が盛んになる近代になってからである。

ななかまどのあふるるばかり赤き実よ木々落葉せし山中にして佐藤 佐太郎

 ナナカマドの紅葉は美しいが、それが落葉したあとの梢上を一杯に彩る真っ赤な果実もまたみごとである。

  俳句歳時記では「ななかまど」が晩秋の季語。ただし、元禄期に著された「季寄せ集」には、この季題は載っていないので、明治期以降に追加されたものと思われる。

噴煙の空迫り来つななかまど水原 秋桜子
山荘の白壁焦がすななかまど大平 芳子

 秋桜子の句は明快で美しいのが特色。この句は高原に紅く色づくナナカマドの群落の上空に、浅間の噴煙が迫り来る晩秋の風景であろう。2句目は、山荘の白い壁に燃えるようなナナカマドの紅葉を対比させたもので、これも晩秋の小風景である。

ななかまど山霧徂徠しきりなり中島 水明子
ななかまど尾根に吹く雲霧となり原 柯城
霧迅しななかまどの朱透しつつ服部 花子
雲海へ紅葉吹き散るななかまど岡田 貞峰

 霧は秋に限らず、春、夏、冬にも発生する。しかし、俳句では、発生時期の最も多い秋期のものと定めている。これらは、ナナカマドの紅葉にかかる山霧を詠んだ句で、第1句の徂徠は行き来している状態をいう。

湿原に神の焚く火かななかまど堀口 星眠
ななかまど岩から岩へ水折れし桜井 博道

 ナナカマドは、土地に対する適応力が大きく、水分の多い泥炭地にも、無味乾燥な岩場にも生える。

 追伸  先月号の本欄で紹介した「りんどう峠」の歌手・島倉千代子さんが、11月8日午後、病気のため75歳で逝去されました。ここに、心からご哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。

[写真は山本撮影]
2013年10月27日