No.43 サンショウ(山椒)
(株) 宮城環境保全研究所  大柳雄彦
香辛料として重宝され、人家にも植えられている
香辛料として重宝され、人家にも植えられている

 若葉を食用に、また材をすりこぎにするサンショウは、ミカン科の落葉低木で、昔はハジカミと呼んでいた。神話の世界になるが、古事記の中巻にその名が出ている。
それによると、初代神武天皇が日向を発って東征の途上、浪速に土着する勇猛な長脛彦(ながすねひこ)が、多数の兵士を集めて手向かってきた。時に、神武帝の重臣大久米命は、部下の士気を鼓舞するため次の歌をうたわせ、難敵長脛彦の軍勢を打ち破ったとある。

 これが有名な久米歌(くめうた)といわれるもので、最後の一句は、太平洋戦争当時、日本国民の戦意を高揚するスローガンとして盛んに使われたものである。
 サンショウは、北海道から沖縄にいたる全国の丘陵帯に分布し、主に雑木林の内部に生えている。古来、わが国の代表的な香辛料として重宝され、人家にも植えられてきた。漢字で山椒の字が当てられているが、本物のサンショウは中国に自生しないので、この字は漢名ではなく和名である。中国大陸に分布するのは同じ科のイヌザンショウで、こちらは香椒子と書く。因みに英語では、日本の胡椒という意味でJapanese pepperと綴る。
 西日本ではこの木を一般にサンシュの方言で呼ぶ。九州の民謡「ひえつき節」でうたわれる「庭のサンシュの木 鳴る鈴かけて ヨーオーホイ」はサンショウの木のことである。
 サンショウは成長すると、3mぐらいの高さに達する。よく分枝して若枝は淡緑色、葉柄のつけ根に鋭い刺が対生につく。濃緑の葉は奇数羽状複葉で長卵形の小葉が羽軸に沿って4~9対、先端に1枚が直交してつく。小葉の先は浅く2裂し、葉縁の鋸歯の凹部に腺点が目立つ。この葉を手で揉みつぶすと芳香が周辺に漂う。

寺の水 飲めば山椒の芽が匂ふ  青柳志解樹
日もすがら機(はた)織る音の山椒かな  長谷川素逝

 サンショウの若葉には独得の香りと辛さがあり、春の日本料理には欠かせない。木の芽和え、木の芽味噌、木の芽田楽などのほとんどは、サンショウの芽を利用したもので、古い葉は佃煮にしても食べられる。

山椒をつかみ込んだる小なべかな  小林一茶
擂鉢を膝でおさへて山椒の芽  草田時彦
田楽は野点(のだて)の娘らも串もて喰い  富安風生
 
 花期は5月上旬、枝先に黄色の小花を多数咲かせ、円錐状の花序を作る。雌雄別株であるため雄株に実はならない。雌株につく果実は長径5mmぐらいの楕円状、表面にシワがあり、10月ごろ赤褐色に熟して裂開する。黒い種子を包む果皮が生葉の「山椒」で芳香性苦味健胃剤として用いられる。
 「山椒の実」は秋の季語で次の句がある。

 

遠山を雨濡らしゆく山椒の実  日下正伝
実山椒木のかげ雲のかげに冷ゆ  河野友人
 
 「赤い靴」や「七つの子」、「証城寺の狸ばやし」などの童謡作家として知られる野口雨情は、千葉県の田舎で「山椒の木」というご当地ソングを作っている。
 民謡調のようでもあり、人々の心にほのぼのとした哀愁を覚えさせるいかにも雨情らしい詩である。
 
 前述した中国に自生するイヌザンショウは、日本にも本州以南の各地に自生しており、県内ではサンショウと同じような場所に生えている。サンショウとよく似ているが、葉に香気はほとんどなく枝につく刺は互生で、花期も遅く8月に入ってからである。
 
 
若葉は、木の芽和えなど、春の日本料理には欠かせない
若葉は、木の芽和えなど、春の日本料理には欠かせない
[写真は仙台市青葉区八幡町にて 山本撮影]
2009年5月16日
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