No.87 ボケ(木瓜)
(株) 宮城環境保全研究所  大柳雄彦

 2月4日は立春。暦ではこの日から春に入る。しかし如月の寒さは格別に厳しく、最低気温を観測するのは、いつも立春を過ぎてからのこと。実は、この暦の矛盾を指摘する唱歌がある。今からちょうど100年前の大正2年に発表された「早春賦」で、平成19年には、文化庁が選定した「日本の歌百選」にも選ばれている。
 春といってもそれは名のみであり、吹く風は冷たく、谷間の鶯はまだ時にあらずと囀りもしない。なまじ春と聞いたばかりに急(せ)れるこの胸の思いをいかにせよというのかと歌うのである。
 春は名のみの2月は、花の最も少ない季節である。にも拘らず、はっとするような濃緋色の花を咲かせる庭木がある。園芸種の寒ボケで、別名を迎春花といい、早春賦とは良く調和する名である。ただでさえ美しいこの花が、寒中に研を競って咲く様子は見事である。

ようやく見つけた寒木瓜の花
ようやく見つけた寒木瓜の花

 寒ボケの母種ボケは中国大陸の原産。平安時代の初期に伝来し、庭木として観賞されてきた。ボケの名の由来は、漢名の木瓜をモククワと音読し、これがモケとなり、更にボケへと転訛したものらしい。わが国最古の本草書「本草和名(918年)」には「木瓜、和名毛介」と出ている。
 ところでボケは「惚け」に通じるので、植物のボケにとっては気の毒な名前である。人間のボケは「のろま」とか「ぼんやり」を意味し「寝ボケ」ぐらいならまだよいが、「ボケ茄子」になると、間抜けな人を罵る雑言になる。また、「器量良けれどわしゃボケの花、神や佛にきらわれる」は、花は美しいが、名前が相応しくないので、神佛に備えるのは慎むべしという俚謡(りよう)である。 話は横道に逸れたが、植物のボケ(Chaenomeles speciosa )は、バラ科の落葉低木。樹高は3m以下で、密に分岐し、短枝は刺になる。葉は互生し、葉身は楕円形で縁に細かい鋸歯がある。花は葉腋に束生し、花弁は5枚、大、中、小輪があり、色も紅、緋紅、白などさまざま。春に開花し、種名のspeciosaは、花が美しいという意味を持つ。花後は、カリンの実に似た梨果に成長し、リンゴ酸などを含むので芳香がある。この果実を漢方で「木瓜」と呼び、脚気や痛み止めの治療に用いる。昔から庭木や垣根に植栽され、切り花や鉢植えにも利用されてきた。
 一方、わが国にはクサボケ(C.japonica)という野生種がある。本州及び九州の低山帯に分布し、本県石巻市の籠峰山付近が自生の北限地とされる。日当たりの良い雑木林や原野に生える落葉低木で、高さはせいぜい80cmとまり。和名にクサがつくのは、ボケの仲間で最も背丈が低いことによる。幹は地べたを這うか斜上して群がり、本種も小枝は刺になる。花期は4~5月、径3cmほどの朱赤色の花を3~5個、葉腋に束生する。展葉と同時に開花するので母種のボケほど派手さはない。全国的にしどみの俗名で呼ばれ、次の句がある。

土ふかくしどみは花をちりばめぬ軽部 烏頭子

 果実はボケよりも一回り小さく、固くて酸っぱいので生食はできないが、これも漢方で「和木瓜」と呼び、果実酒にすると、滋養強壮やリュウマチに効果があるといわれる。

 今回取り上げた寒ボケは、外来のボケと邦産のクサボケとを交配して作り出した園芸種で、寒中に咲くのでこの名がある。ただし、この品種が巷に普及するのは江戸時代末期以降のことで、俳句が勃興する元禄時代には、ボケの句は詠まれているが、寒ボケに関してはまったく見当たらない。現在の俳句歳時期では、「寒木瓜」を冬の季語としている。

寒木瓜や先の蕾に花移る及川 貞

 寒ボケに限らず、一般にボケ類は地際から上方に向かって花が咲いて行く。作者は軍人の妻、軍国の母として昭和の動乱期を生き抜いた女流俳人で、冷徹に自然を注視する抒情的な句が多い。

寒木瓜の咲きつぐ花もなかりけり安住 敦

 寒ボケ以外にこの時期に咲く庭木は見当たらないという句。作者はエッセイストとしても知られ、何気ない日常生活の実態を諷詠する句が多い。

寒木瓜のほとりにつもる月日かな加藤 楸邨
寒木瓜の日溜りにあり風の渦長沢 光雲
寒木瓜の鮮かな紅衰へず山口 波津女
寒木瓜も売れて三越十二月松藤 夏山

1~3句は庭園に植栽された寒ボケの花期の光景、4句は寒ボケの盆栽と思われる。

 参考までに、春の季題である「木瓜の花」の有名な句を紹介する。

紬着る人見送るや木瓜の花森川 許六
初旅や木瓜もうれしき物の数正岡 子規
土近くまでひしひしと木瓜の花高浜 虚子

 因みに第1句は元禄時代の作である。

寒木瓜の蕾ながらも紅きざす  川端 卓子
寒木瓜の蕾ながらも紅きざす  川端 卓子
※厳しい寒さのため、寒木瓜の花がほとんど咲いていていませんでした。
2013年1月21日