No.39 ミツマタ(三椏・三叉)
(株) 宮城環境保全研究所  大柳雄彦

節分の次の日が立春で、この日から春の季節に入る。しかしこれは暦の上だけのことで厳しい寒さは当分続く。それでも春を迎える喜びは、北国であるほど強く感じるものである。八幡町郊外の雑木林は、いま、梢頭で盛んに芽ごしらえの準備をしているが、民家の庭先に植えてあるミツマタのつぼみも大きく膨らみ、あと少しで見頃を迎えようとしている。ミツマタの花は、永い冬との訣別を告げる春の使者である。

 高級和紙の原料となるミツマタは、それを目的に栽培されてもいるが、宮城県ではもっぱら庭木や公園樹として利用される。漢字で三椏、または三叉と書き、サキクサ(三枝)は古名である。
 異名の黄瑞は、花がジンチョウゲに似ていることからきた名で、中国でもこの字を使っている。

半球形の樹形
半球形の樹形

 ミツマタは背丈が2mぐらいになるジンチョウゲ科の落葉低木で、樹形はおおむね半球形になる。粗生する枝はやや太くて黄褐色、夏になると今年伸びた枝の先端が急に三又に分かれる。ミツマタの名はこの特徴に由来する。葉は互生につき、長楕円形で、長いくさび形になって柄に変わる。葉質はやや薄く、両面に絹毛が密生し、鋸歯はない。秋になると今年枝の上部に銀色のつぼみをつけ、これが翌春早々、花弁のない筒状の30~50個からなる集合花になる。
はじめ銀色をしているが、全開すると黄金色に変わり、まるで小さな蜂の巣のように見える。文人、長塚節は「枝ごとに三又成せる三椏のつぼみを見れば蜂の巣のごと」とミツマタの特徴を歌にしている。

3つにわかれる枝先
3つにわかれる枝先

 ミツマタは中国原産でわが国には慶長年間(1596~1615年)に渡来したとする説と、もともとわが国の西日本に自生していたとする説がある。自生説は万葉集にのる次の歌を根拠とする。

春さればまづ三枝さきぐさの幸さきくあらば後にも逢はむ莫な恋ひそ吾わ妹ぎも(巻10・1895)

 柿本朝臣人麿の歌集から収録されており、「春になれば真っ先に咲く三枝のように、今が幸せであるならば後で逢うことができよう。あまり恋に心を苦しめるな吾妹よ」と、男が恋人に語りかけている歌。
さきくさの「さき」を「幸福」のさきに懸けており、また第1句目の「春されば」は、古語の春がやってくればのことで、spring has comeと同義である。

蜂の巣状の花
蜂の巣状の花

 わが国の紙幣は主にミツマタの繊維を原料として作っている。物の本によると、紙幣を製造するまでのおおよその工程は、次のような手作業によって行われる。厳冬の時期、山や畑に栽培したミツマタの枝を刈り取り、これを束ねて大釜に入れ熱湯で茹で上げる。釜から取り出したあと、皮を剥ぎ、鬼皮と呼ばれる表皮の部分を包丁で削り取る。そうすると白い内皮の部分だけとなり、これを竹竿に掛け、寒風にさらして乾燥させる。十分に水分を抜いてから束ねて、そのまま大蔵省印刷局に納めるのである。
 ミツマタの繊維はコウゾやカジノキと比べ細く粘り気があり、折り曲げに強い。印刷局ではこれにマニラアサなどと混合して紙幣を作る。因みにミツマタの枝一本で一万円札が10枚作れるといわれる。静岡・岡山・高知県の山村では、今でもミツマタの栽培が盛んに行われている。

 俳句では「三椏の花」や「三椏」が春の季語である。江戸期の作は見当たらないが、近世の俳壇では次のような句が知られる。

三椏に花雪片せっぺんの飛べる中山口青邨
三椏や皆首垂れて花盛り前田普羅
三椏の花のうす黄のなかも雪天野林火
三椏や百姓の顔ねむく過ぎ岸田稚魚
三椏のはなやぎ咲けるうららかな芝不器男
[写真は仙台市青葉区国見にて 山本撮影]
2009年5月15日