No.92 クリ(栗)
(株) 宮城環境保全研究所  大柳雄彦

 一口に八幡町界隈といっても区域は広い。標高の高い西部には、大崎八幡の境内林をはじめ、雑木林や屋敷林などのみどりが多い。仙台市は、これらの緑地のうち、自然度の高い樹林地を、「杜の都の環境をつくる条例」により、「保存緑地」に指定した。同市建設局の資料によると、町内に八幡地区1、国見地区3、計4箇所の保存緑地があり、指定面積は15.1haとある。

 7月初めの梅雨晴れのある日、知人の所有する国見4丁目の保存緑地を訪ねてみた。そこはかつて薪炭生産が行われていた雑木林で、林冠部には、ちょうどクリが花を咲かせていた。
 クリの実は、秋の味覚として誰でも知っている。しかし、クリの花を知る人は意外にも少ない。淡黄色の紐のような花は、目立つものではなく、しかも花期が梅雨のさ中ということもあって見掛ける人は少ない。いみじくも俳人芭蕉は、「世の人の見付ぬ花や軒の栗」の句を残す。  今回は、梅雨に咲くクリを季題に取り上げてみた。

梅雨の晴れ間に咲く栗の花
梅雨の晴れ間に咲く栗の花

 クリ(Castanea crenata)は、ブナ科クリ属の落葉高木。北海道南部から九州にかけて分布し、朝鮮半島にも自生する。里山に広がる雑木林の優占種であるが、しばしば奥山のブナ林にも混成する。
 樹高は10~15m、稀に30mを超す巨木もある。樹幹は直立し、樹皮は黒褐色、老木になると縦に深く裂ける。葉は互生につき、葉身は狭い楕円形、多数の側脈が平行につき、縁に鋭い鋸歯がある。
 雌雄同株で花期は7月、ブナ科の仲間では、最も遅く咲く。雄花序は、今年伸びた枝に淡黄色のブラシのような尾状花を、やや上向きにつける。これが強烈な匂いを発散させ、いろいろな昆虫を誘き寄せる。雌花は雄花序の基部に1~2個つき、緑色の鱗片を多数つけた総苞につつまれる。その後、鱗片の腋から多数の棘(とげ)が伸び、これが秋には「いが」に発達し、内部に3個の果実(クリ)が入る。

 クリの語源は、「大和本草」に記述される「クリは黒なり、実の皮黒し」に拠るといわれる。しかし朝鮮語のKulからきているとする説も有力だ。漢字で栗と書くのは、中国の漢名をそのまま踏襲したもの。
 クリの実は、各地の縄文遺跡から多数出土しているように、昔から食用にされていた。栽培の歴史も古く、7世紀には植林の奨励された記録が残る。野生のクリはシバグリと呼ばれ、小粒ながら味は良好だ。そこで栽培種はシバグリのなかの実の大型のものを選抜し、これらを交配するなどして、改良を重ね、一時は150種を超える品種が登録されていた。ところが、昭和30年ごろ、クリタマバチが異常発生し、これらの品種の大半は消滅した。その後は、害虫に抵抗性のある品種として開発された銀寄、筑波、西明寺などにより、集中的に栽培され、生産量は回復した。
 なお、デパートや街頭で売られる天津甘栗は、シナグリ(C.molli ssima)のことで、産地は中国の万里長城周辺とのこと。

縦に裂ける栗の樹皮
縦に裂ける栗の樹皮

 栗の字が、古典にはじめて現れるのは古事記の応神天皇の条。天皇は、日向の国に髪長姫という絶世の美女がいることを聞き、宮廷に召し出した。そこに同席していた皇子の大雀命(おおささぎのみこと)(後の仁徳天皇)が、一目でこの姫を見染め、父の天皇に「ぜひこの姫を私にお譲り下さい」と懇願した。応神帝はしぶしぶ「三栗の中つ枝のほつもり赤ら小嬢(おとめ)をいざささば好(よ)らしな」と詔を賜り、皇子の要望に応えたとする話が載る。詔にある「三栗の」は、「なか」にかかる枕詞。栗のいがの中には3個の実が入り、外側の実が中の実を抱いていることに由来する。古代はこの枕詞をほめ言葉として用いていた。
 万葉集にも次の歌が収まる。

三栗の那賀に向へる曝井(さらしい)の絶えず通はむそこに妻もが(巻9.1745)

 那賀で向かい合い、絶えず流れている滝のように、私も那賀に通って来よう。そこにはいとしい娘もいてほしい、というのが大意。那賀は常陸国の地名。因みに茨城県は日本一の栗の産地である。
 万葉集で栗といえば山上憶良の「子等らを思ふ歌一首」も有名。

瓜(うり)食(は)めば子ども思ほゆ栗(くり)食(は)めばまして偲はゆ・・・・(巻5.802)

 筑前守であった憶良の任地での作。瓜を食べると故郷に残したきた子供のことが思われ、栗を食べると尚一層偲ばれる・・・・と子煩悩ぶりを丸出しにした歌で、この後も続けて

銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに勝れる宝子に及(し)かめやも(巻5.803)

 と反歌で締めている。
 古歌集に姿を見せなかった「栗の花」は、俳諧の時代になり、ようやく、梅雨に咲く季節の花として登場する。栗の花のほか、「花栗」「栗咲く」などが夏の季題とされ、江戸期の作もあるが、ほとんどは近世の句である。

藪原や谷を隔てヽ栗の花高浜 虚子
栗の花紙縒(こより)の如し雨雫杉田 久女
山雲の野に下りしより栗の花水原 秋桜子
栗の花ときをり思ふ人のあり横光 利一

 これらは、梅雨空の下に咲く栗の花そのものを詠んだ句。

よすがらや花栗匂ふ山の宿正岡 子規
花栗のちからかぎりに夜もにほふ飯田 龍太
花栗に寄りしばかりに香にまみる橋本 多佳子
岨(そば)道や匂へば仰ぎ栗の花高浜 年尾

 栗の花は虫媒化で、強烈なにおいを周辺に漂わせる。第1句の「よすがら」は夜通しの意。

逗留の窓に落つるや栗の花向井 去来
毛虫にもならで落ちけり栗の花正岡 子規

 栗の雄花序の落下を詠む句。栗の雄花は授粉が済むと雌花のつく基部の部分を残し、その先は落ちてしまう。第1句は数少ない元禄期の作。

花栗の園アダムゐてイブがゐて鷹羽 狩行

 クリ属は全世界に12種あり、そのすべては北緯30~40°の間に自生する。ヨーロッパグリは地中海の沿岸地域に分布し、古代ローマ時代からマロンと呼ばれ親しまれてきた。幻想的な虚構俳句と思われるが、作者は、山形県鶴岡市出身で、NHKの教養講座などで活躍中の俳人である。

[写真は山本撮影]
2013年6月25日
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